C–Hの伸縮振動を2920 cm⁻¹と与えます。Hを重い同位体Dへ置き換え、結合の力の定数を同じと扱うなら、C–Dの波数はいくつになるでしょうか。 原子の質量から換算質量を求め、振動数と波数の比を通して新しい位置を計算します。
この模型の答えは約2143 cm⁻¹、もとの約0.7338倍です。Hだけの質量が2倍になっても、波数が半分にはならない理由を、二つの原子の動きから確かめます。

1.まず、何を同じにして比べるか
Dは重水素という水素の同位体です。Hと同じ水素元素ですが、原子核の中身が違い、質量が大きくなります。本稿では計算を追いやすくするため、Cを12 u、Hを1 u、Dを2 uと丸めた質量を与えます。uは原子の質量に使う単位です。ここでの数値は、精密な同位体質量ではありません。
結合をばね、二つの原子をその両端の質量として扱う局所的な二原子・調和振動モデルで比較します。調和振動とは、結合の長さが平衡位置から少し変わると、その変化に比例した力が戻す向きに働くモデルです。ばねの硬さに当たる力の定数をκ(カッパ)とし、HからDへの置き換えでκは同じと仮定します。
2.Hだけでなく、Cも動く:換算質量μ
結合が伸び縮みするとき、Hだけが動いてCが完全に固定されているわけではありません。二つの原子の動きを、原子間の距離の振動としてまとめるために、換算質量 μ(ミュー)を使います。このμは、二つの原子間の距離が伸び縮みする運動に対応する質量です。
C–H:μCH = (12 × 1)/(12 + 1) = 12/13 u ≈ 0.9231 u
C–D:μCD = (12 × 2)/(12 + 2) = 12/7 u ≈ 1.7143 u
分数の上は二つの質量の積、下は二つの質量の和です。どちらも質量をuでそろえたので、u²/uから換算質量にもuが残ります。μはCとHの合計13 uではありません。軽いHの質量1 uより少し小さい値になることも、式から確かめられます。

ペンタDはHの2倍なら、換算質量も2倍?
イコール分母も13から14へ変わります。μCD/μCH=(12/7)/(12/13)=13/7で、約1.857倍です。Cも動く二原子の式なので、Hだけの質量比2とは違います。
ペンタCを動かないほど重いものとして考えると、どうなる?
イコールCの質量がHやDより十分大きい極限では、μは軽い側の質量に近づきます。でも今回のCは12 uです。その有限の質量を入れて、13/7という比を使います。
3.角振動数、振動数、波数を順に結ぶ
このモデルの角振動数はω=√(κ/μ)です。ω(オメガ)は、振動の位相が1秒でどれだけ進むかを表します。一周期は2πなので、1秒当たりの周期数である振動数ν(ニュー)はν=ω/(2π)。その単位はHz、つまりs−1です。
IRでよく使う波数ν̃(ニュー・チルダ)は、波長λの逆数 1/λです。λをcmで表せば、波数の単位はcm−1になります。振動数との関係はν=clight/λなので、ν̃=ν/clight。clightは光速で、濃度のcではありません。
ν = ω/(2π)
ν̃ = ν/clight = [1/(2πclight)] √(κ/μ)
絶対値をこの式へ入れるなら、κをN/m、μをkgにそろえると√(κ/μ)はs−1になります。さらに光速をcm/sで入れて割れば、cm−1です。今回ほしいのは二つの波数の比なので、同じκ、2π、光速は打ち消し合います。μも両方をuで表した同じ単位どうしの比でよく、uをkgへ直す必要はありません。
4.波数の比は、換算質量の逆比の平方根
先に求めた換算質量はC–Dのほうが大きくなりました。νが√(κ/μ)に比例するので、同じκでは換算質量が大きいほど振動数は下がります。さらにν̃=ν/clightなので、振動数の比と波数の比は同じです。新しいC–Dを分数の上側、もとのC–Hを下側に置いて計算します。
= √[(κ/μCD)/(κ/μCH)]
= √(μCH/μCD)
= √[(12/13)/(12/7)]
= √(7/13)
≈ 0.7338
分子に置くのは、もとの軽いC–Hの換算質量です。重いC–Dの換算質量を分母に置くと、比は1より小さくなります。重くすると波数が下がるという向きと一致します。2倍というH/Dの質量比をそのまま使うことも、換算質量の比を平方根にせず使うこともできません。

≈ 2143 cm−1
減少率 = (1 − 0.733799…) × 100 ≈ 26.6%
ペンタ換算質量が約1.857倍なら、波数はその逆数の約0.5385倍?
イコール振動の式には平方根があります。逆数7/13を作ってから、その平方根を取るので約0.7338倍です。2920へ掛けると約2143 cm⁻¹になります。
ペンタκが同じという条件を外しても、その倍率でよい?
イコールその場合はκCD/κCHも平方根の中に残ります。波数比は√[(κCD/κCH)(μCH/μCD)]です。今回は同じκと与えたから、質量の比だけで計算できました。
元の式へ戻すと、(ν̃CD/ν̃CH)²=7/13=μCH/μCD。平方根の向きを取り違えていないか検査できます。また、丸める前のC–D波数を√(7/13)で割れば、もとの2920 cm⁻¹へ戻ります。
5.波数が低いと、何が分かるか
波数は波長の逆数です。波数が0.7338倍なら、波長はその逆数で約1.363倍に長くなります。同じ光速のもとでは、振動数νも波数と同じ0.7338倍です。「波数が低い」「波長が長い」「振動数が低い」を、この式の関係で結びます。

ペンタC–Dの点が右へ動くなら、吸収は弱くなる?
イコールこの式が予測するのは位置です。吸収の強さを決める情報は与えていないので、弱くなるかは分かりません。波数が下がることと、吸収が弱いことは別です。
ペンタ実際の分子でも、必ず2143 cm⁻¹に出る?
イコールこれは与えた2920と同じκを使う二原子モデルの予測です。実際の分子では他の原子の動きとの結び付きや、ばねの比例関係からのずれもあります。実測位置と比べるときは、同じモデルで近似できる振動か確かめます。
6.もう一つの同位体で、何が動くか確かめる
問1 Hは1 uのまま、Cだけを12 uから13 uへ替えます。κは同じ、もとの波数は2920 cm−1とします。換算質量と波数の変化を計算し、H→Dの場合と比べてください。
ν̃13CH/ν̃12CH
= √[(12/13)/(13/14)] = √(168/169)
≈ 0.99704
2920 × 0.99704 ≈ 2911 cm−1
解答1 換算質量は約0.9286 uとなり、もとの約0.9231 uより少し増えます。波数は約2911 cm−1へ少し下がります。Cも動くからCの同位体置き換えは影響しますが、今回の換算質量の変化はH→Dより小さいと確かめられます。
問2 C–Dのほうが低波数だと分かっただけで、「吸収が強い」「κが変わった」「波長が短い」のどれが言えますか。
解答2 その三つはいずれも言えません。強さの情報はなく、同じκでも質量だけで波数は下がります。同じ光速なら波長は短くなるのではなく、長くなります。分かるのは位置と、それに結び付く波長・振動数の関係です。
参考資料
MIT OpenCourseWare, 5.61 Lecture 8: Harmonic Oscillator:二原子の換算質量、角振動数ω=√(κ/μ)、ν=ω/(2π)の関係。
OpenStax, Organic Chemistry §12.6 Infrared Spectroscopy:結合の伸縮と赤外吸収、波数1/λとcm−1。本稿の2920という与件、丸めた質量、計算図と確認問題は教材用に設定しています。


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